関西支部
関西支部長 海沼喜邦(37年卒)
副支部長 西村五十男(37年卒) 寺西恵子(34年卒)
山崎祐司 (34年卒)
事務局長 武田 徹(36年卒) 会計 内山まつ子(38年卒)
関西支部長あいさつ
関西支部は現在大阪・奈良・京都・神戸など関西に暮らす会員約70名で運営されています。平成15年10月に関西支部を約140名で発足し、初代支部長は五明武雄氏(昭和32年卒)が就任し2代目支部長は月岡直行氏(昭和33年卒)が、そして平成28年に私海沼喜邦(昭和37年卒)が3代目支部長に副支部長に同級生であった西村五十男氏が就任しました。
どうぞよろしくお願い致します。
関西支部は新規会員が望めなく、また会員の高齢化に伴い現在は発足当初の約半数の会員になってしまいました。しかし人生の礎を築いた松代の大事な仲間である会員のみなさまと親交を深めることは非常に大事なことと思っています。引き続きよろしくお願い致します。
松 高 カ レ ー 登 場
高校生が考えた松高カレー
松代町の特産である長芋が入ったオリジナルカレーができました。
スパイシーな風味がⅮ✕
会員のみなさん、田舎の長芋の入った松高カレー食べてみませんか。
◎購入申込方法 インタ-ネットホームページ ガクイチ から→高校生開発商品→
松高カレ― →購入数を入力してカートに入れる。
◎販売価格(税込) 500円(1食)
◎お支払方法 詳しくはホームページ最終のお支払方法をご覧ください。
代引は代引手数料がかかるのでクレジットカードが最良と思います。
関西方面 605円
◎返品・交換 ホームページでご確認ください。
令和元年度関西支部定時総会(ご報告)
5月19日(日)ホテルプラザオーサカで開催致しました。
本部より青木邦一会長、細川隆男副会長をお迎えして開催されました。
青木会長からは松代高校生が企画したナガイモカレーが完成、町内の商店や観光施設などで販売を始めたとのお話がありました。一過性に終わらないように継続的に売り上げが伸びるよう頑張ってほしと思います。関西支部も何かお手伝い出来ればいいなと考えています。
今年度は関西支部長が体調を悪くしたので変わりの人を探しましたが引き受けてがなく、引き続き現行体制で行くことになりました。俺がしてやるという会員はご連絡ください。
懇親会
細川副会長の音頭で乾杯、ホテルの美味しい会食を楽しみました。学校の事、それぞれの健康の話など懇談し、ビンゴゲーム、カラオケを楽しみました。ビンゴゲームでは松代高校生のナガイモカレーが景品として当たりみんな大喜びでした。プラザオーサカさんは外国客が増え内部もどんどん綺麗に改装され、いつもの事ですがカラオケ提供や美味しい料理、開催時間も長めにサービスして頂き感謝です。
最後に信濃の国、校歌をみんなで元気に歌い閉会としました。
会員のみなさん「次々」と言っているとなかなかこれませんから来年は是非出席して楽しみませんか、お待ちしています。
令和元年度松代高等学校同窓会総会(ご報告)
今年は海沼支部長が体調不良のため、西村五十男副支部長が出席しました。
以下報告致します。
青木会長 同窓会の問題点として、会費の収入が減少傾向にある。入金率を上げる努力を今後も続ける。学生の活躍している話題を宣伝する等同窓会生に関心をもってもらう。
松村校長 高校再編、定数割れ等についてお話がありました。定員割れ防止のため
a. 多部制、単位制高校等北信全体で立地含めバランスのとれた高校を作る
b. 商業・農業・家庭の産業技術高校の設立
C. 都市部在立普通高校の設置 等検討していく。
事務局 第1号議案から第9号議案の事業・会計を中心とした議事が進行されました。
第9号議案で役員の一部改正がありました。青木会長は顧問に、新会長は副会長の細川隆男氏(43年卒)が就任されました。
平成30年度関西支部定時総会(ご報告)
5月27日(日)ホテルプラザオーサカで開催致しました。
本部より青木邦一会長、倉田博憲副会長をお迎えして開催されました。青木会長、倉田副会長から学校を取りまく環境は少子化による高等学校の統合は県下では避けて通れない現実であり、注意深く見守っていかなければならないとのお話でした。
また、5月1日(火)同窓会は開校記念行事で北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫(60歳)さんの講演会を学校で開き、在校生役540人と地域住民約70人が聴講したとの報告がありました。
蓮池薫さん講演の新聞記事の抜粋
新聞記事によると講演を聞いた生徒達は「家族が離れ離れにされてしまう状況は切ない」「皆が問題を把握し、国民総出で立ち上がるのが必要」と口々に話した。蓮池さんは「講演を聞く生徒の真剣な眼差しに、実体験が伝わる手応えを感じた」と話していた。一方で若い人と話すと「北朝鮮をぶっ潰せ」という激しい声が出てくるとした上で「こうしたことをやっているのは上層部の一握り。国民の多くはお腹を空かせて飢えている」と指摘。ヘイトスピーチなども「卑劣なことで許せない。こうした見方も身につけてほしい」と生徒たちに呼びかけた。・・・
続いて、五明武雄(初代関西支部長)さんと月岡直行(2代目支部長)さんに永年の功労に対して青木会長より感謝状が贈られました。
本年度は役員改選がありませんので引き続きよろしくお願い致します。
懇 親 会
倉田副会長の音頭で乾杯、ホテルの美味しい会食を楽しみました。学校の事、聖澤諒(楽天)選手の活躍状況など楽しく懇談をし、カラオケも楽しみました。プラザオーサカさんにはいつもカラオケ提供や盛沢山の料理の大サービスで感謝です。
最後に信濃の国、校歌を歌いお開きとしました。いつものことながら「連なる峰や行く水や」で始まる我母校校歌は作詞・作曲がすばらしく高校生に戻った気持ちで歌い来年も又みんなに会おうという気持ちにさせてくれます。
会員の皆さん来年は是非出席して校歌を一緒に歌いましょう。
平成30年度松代高等学校同窓会総会(ご報告)
6月3日(日)松代高校「松濤館」での総会に関西支部長が出席しました。
青木会長のご挨拶、松村校長のご挨拶があり、その後議事第1号から第9号議案を承認しました。
青木邦一会長、細川隆男副会長、倉田博憲副会長、浅川民江副会長、木下勝美監事、飯島裕一監事の新体制が発足しました。
懇 親 会(サンホールマツシロ)
料理と会話を楽しみビンゴゲームでみんなにおみやげが当たりました。最後に校歌を歌い、終わるところでしたが、嘗ての応援団長がおりました。山岸喜昭(43年)関東支部長と宮川好正(44年)長野支部長です。お二人の迫力ある応援歌、凱歌で締めくくる事ができました。
真田公園に行って来ました
旧松代高校の跡地が真田公園になっています。今まで気がつかなかったのですが、みなさん思い出せますか。体育館の南側にあった大きな木です。(正式名称ヒマラヤシーダ)みなさんよくご存じのヒマラヤスギと同様のシンボルになる木です。私も卒業して57年ですから太く大きくなっていました。もちろん同じ場所のままですから、木の横に立ちこっちが体育館、向こうが校舎、そして木の横が私が走っていた100mの走路(石ころだらけ)だったと懐かしく当時を思い出しました。みなさんも松代へ帰ったら一度寄ってみたらいかがですか。又、松代は童謡の作曲家・作詞家を4人も輩出している街でもあるので真田公園にも沢山の童謡の歌詞を刻んだ碑(いしぶみ)が沢山ありました。(松代出身の童謡作曲家・作詞家)
草川信 作曲家 夕焼け小焼け どこかで春が みどりのそよ風
海沼実 作曲家 里の秋 お猿のかごや みかんの花咲く丘
坂口淳 作詞家 小鹿のバンビ ママのおひざ マロニエの木陰
山上武夫 作詞家 お猿のかごや 見てござる
松代の街を散策しました
矢沢家表門を見学しました。
真田丸でお馴染みの矢沢薩摩守頼綱(沼田城主)を初代とし、ドラマではいつも幸村と一緒に行動していたのが息子の矢沢三十郎頼幸である。松代藩で代々筆頭家老格を務めた由緒ある矢沢家である。真田弾正忠(ダンジョウノショウ)幸隆(真田中興の祖、昌行の父)の弟で、常田出羽守隆永の兄になります。六文銭が家紋です。表門は市指定有形文化財です。
親戚の常田家を訪ねました。小さい頃父に今日は殿さんの家に行くからついてこいと言われていった家が常田家でした。常田家は常田出羽守隆永(真田弾正忠幸隆・矢沢薩摩守頼綱の弟)を初代とし表門には近代日本に足跡を残した松代びととして顕彰された常田仁太郎(徳川幕府最後の常田家当主)の案内看板が立っています。常田仁太郎は勝海舟と親しく明治政府の海軍省に入省、大型船高砂丸を建造、舞鶴軍港新設や後に戦艦大和の建造にも携わりました。麹町の400坪の江戸屋敷は弟の御亀(オキ)が継ぎ宮内省に入省、明治天皇の侍医として活躍したそうです。高校時代3年間しょっちゅう屋敷に遊びに行きおじさん、おばさんに可愛がって頂いたことは今でも忘れることはありません。常田家があったことが松代高校へ来た大きな理由であったので、いつ行っても懐かしく安らげるお家です。常田家も六文銭が家紋です。
(写真をクリックすると大きくなります。)
海沼本家を訪ねました。私の祖父海沼友太郎は長男でしたが商人になりたくて稲荷山へ出て呉服商人になりました。私が育った稲荷山は鉄道が敷かれる迄は大変栄えた町だったそうです。今でも大きな屋根瓦の商家などに面影が残っています。稲荷山には大きな呉服店が6件もあり、なかでも山丹(ヤマタン)呉服店が三州(甲州・上州・信州)一番の呉服屋と言われており祖父友太郎は山丹の第一番頭として活躍しました。とってもやり手で人情家であったと母から聞いています。松代の海沼家からは本家を同じくする海沼実(童謡作曲家)が全国的に有名ですが、嬉しいことに他にも近代日本に足跡を残した松代びととして顕彰された海沼房太郎がおり案内看板が立っています。海沼房太郎は群馬の官営富岡製糸場で学び、日本初のフランス式民営製糸場「六工社」設立に参加、多くの製糸用蒸気器械を開発し松代の製糸業を飛躍的に発展させることに貢献しました。海沼家にこんな凄い先輩がいたことに本当に嬉しく誇らしく思いました。同様に和田英も松代から富岡製糸場に派遣され伝習後は松代に戻り「六工社」で若い工女等に器械製糸技術を指導し、松代の製糸業を飛躍的に発展させました。回想録「富岡日記」著者でもあります。
平成22年の松代イヤー実行委員会が作成した「ふるさと松代人物館」のリーフレットで松代びとの事が良く分かり感謝です。松代イヤー実行委員会には今後さらに多くの先人たちを発掘顕彰し、まちづくり、人づくりのために頑張ってほしいと思っております。
お昼を岸本敏子(旧制若槻)さん宅でご馳走になりました。大阪に住んでおりましたが(関西支部で大活躍。)ご両親がお亡くなりになり数年前に松代に帰りました。ボタモチを食べてから総会に行くのでよろしくと言っていたのですが、料理屋のような立派な田舎料理が並んでいました。岸本さんと私は同じ銀行勤務でした。松代高校からの女子の採用は後にも先にも彼女と同期の2人だけでした。18歳で大阪へ就職し、女子寮に入って銀行勤務をしました。良い旦那を見つけ結婚をし、子供も育て茨木に家も作り立派なものです。しかし、お母さんにお料理を教わる時が無かっと思うのですが、松代へ来て僅かの間にお友達に教わったのでしょうか、感激のお料理でした。ほんとうにありがとう。又、びっくりしたのはお隣が本家を同じくする海沼一族の海沼実(童謡作曲家)の生家ということでした。年を取ると色々なことがわかり面白いものです。
松代はやはり歴史の街です。みなさんもいま一度松代の街を散策してみませんか。
関西支部設立時からの懐かしい写真集です